こんにちは。島根県松江市のお茶屋、加島茶舗の加島理絵です。
寒くなりましたね。加島茶舗は床がコンクリートなので底冷えします。
寒いので石油ストーブを2台焚いて、エアコンもつけていますが、それでも寒いので、
冬はムートンブーツを履いて、セーターの上にもこもこのフリースを着て仕事をしています。
それでも寒いので、エアコンのフィルターを掃除してみました。
それでもやっぱり寒いです(笑)朝ドラのヘブンさんの気持ちがよくわかります。
こんなに寒いのに驚かれるかもしれませんが、なんと
ひつじ製菓さんのまるで抹茶のヌガーグラッセ(アイスケーキ)を
日本茶スタンドで販売しています。しかも期間限定です…!寒
ドリンクとセット限定ですので、あつ〜いほうじ茶とセットでがおすすめです(笑)
スタンドご利用の際はストーブを近くに持ってくるので安心してお越しください。
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今日は、加島茶舗の歴史について。
no.101でも少し触れましたが、5代目のお父さんからお茶の時間に聞いた話で、何かに書き残しておきたいなと思ったのでこのブログに書いてみたいと思います。
まず初代の加島文太郎さん。明治24年に39歳で加島商店というお店を始めておられます。
お茶を売ったりたばこを売ったり、京都から来た業者にこのあたりで猟師さんが獲った狐や狸などの毛皮を売ったりしていたそうです。借家の大家さんもしていたみたいで、当時の家賃表もありました。
2代目は加島林次郎さん。文太郎さんは娘しかおられず、婿養子で洋服屋さんから来られたそうです。加島家にはレトロな足踏みミシンがあるのですが、洋服屋さんの林次郎さんが持ってこられたものなのだそう。
林次郎さんもお子さんが4人娘だったそうで、その一人チカコさんと結婚し婿にこられたのが3代目の加島幸吉さん。しかしチカコさんは早くに亡くなられてしまったそう。
当時世の中は戦争真っ只中でしょうか。
跡取りもなく、林次郎さんの娘の一人が同じ茶町にある吉岡米穀店にお嫁に行っていて、そこから林次郎さんの外孫にあたる恒子さんが、婿さんは平野醤油から4代目の加島慶三さんが、夫婦養子で来られました。浩介さんのおじいちゃんおばあちゃんです。
慶三さんは浩介さんが生まれてとても喜んでいたそうです。働き者で、玉湯まで自転車で配達に行っていたのだとか。有限会社化して、加島茶舗という名前になったのもこの頃です。
5代目の加島幸夫さん。浩介さんのお父さんで、今年7月まで社長をしておられました。
通販事業をいち早くはじめ、全国のお客様とのつながりを作ってくださいました。
今もお店によく来てくださいます。
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今朝ドラを見ていて、ちょうど明治時代なので、文太郎さんは激動の時代を生きて、商売を始められたんだなと加島茶舗が始まった頃と重ねてみています。

主人公のおときちゃんがシジミを売っていた頃は、腰にこんな売上帳をぶら下げていて、「あ!これうちにもある!!」とちょっと感動しました。
文太郎さんがどこから来たのかはわからないのですが、加島という苗字は島根県では少なくて、埼玉や東京などに多い苗字のようです。
おときちゃんが東京に行った時には、3日かかったと言っていて、どんな事情があって、どんな想いで来られたのかな…。なぜお茶屋にしたんだろう。たくさんの時代を経て、130年も続いてると知ったら喜ばれるかな…なんて考えてしまいました^^
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島根のおすすめスポット
No.103 金言寺の大銀杏-飯南市奥出雲町



秋の奥出雲は紅葉がとても綺麗なのですが、中でも金言寺の大銀杏は有名です。
私も今年初めて行ったのですが、一面の黄色い銀杏の絨毯に、子どももびっくりしていました。
茅葺き屋根のお寺もまた素敵です^^
本当は奥出雲そばが食べたかったのですが、この時期の土日の奥出雲はさんがどこもいっぱいで、鬼の舌震にいって、紅葉を見ながら買ってきたお弁当を食べました^^

シートの中に葉っぱが落ちてきて、なんとも秋らしくて良い思い出になりました🍁
奥出雲は島根と広島の県境の近くですので、広島方面からお越しの方は、奥出雲で観光して松江や出雲にお出かけも良いかもしれません。
銀杏の見頃は11月上旬のようで、中旬は結構葉が散っていましたが、落ち葉の絨毯もまた素敵でしたよ。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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